はじめに可動堰ありき −住民不在で始まる第十堰改築計画

 発端は昭和57年の吉野川水系工事実施基本計画の改定。これによって吉野川の治水計画は、80年に1回の想定洪水から、150年に1回の想定洪水へ引き上げられ、その規模は、毎抄17500トン から一気に毎秒24 000トンに引き上げられた。これは、日本一の規模である。ここから可動堰建 設計画が具体化し始めるのだが、この検討から決定はすべて建設省が行い、住民が入る余地はまるでなかった。それどころか、この計画が決まったことさえ、ほとんどの住民は知らなかった。知らされなかったと言ってもよい。治水計画は建設省さえ知っていればよい…当時、それが当たり前のような 空気が、建設省にも県にもあった。そうした状況に変化のきざしが見え始めたのは、ここ3〜4年の ことである。

塩水化防止ではなかったのか

 可動堰計画の必要性について、地元県議会では的を得た議論はなされていない。過去、県議会が第十堰改築に関して熱心に議論してきたのは、可動堰建設を前提とした吉野川下流部の池下水塩水化防止策であり、あるいは橋併設であり、ただそれだけでしかなかった。建設省が掲げた治水利水の目的 の是非について、また環境への影響について議論したことは一度もなかったと言ってよい。もしも、 この事業が建設省の言う通り住民の生命財産にとって緊急の課題であるならば、県民の代表が一度も議論しない、などという事はありえない。つまり、議論をするだけの必要性を認めなかったか、もしくは、議論の対象とするべきではない課題と考えていたかどちらかである。おそらくはその両方だっ たのであろう。だがこのような的外れな県議会の議論は、結果として第十堰改築が「塩水化対策」や 「道路橋建設」のためのようだと県民に思わせるのに十分な役割を果たすこととなった。

 実際、多くの県民は計画の内容を知らなかった。平成5年9月、初めて第十堰をテーマにしたシンポジウムが徳島市で開かれたが、この会場のアンケートでは、35%の入が「第十堰改築とは石積み改修と思っていた」と答えた。また平成6年8月の帰省客アンケートでは、80%の人が「知らなかった」 と答えている。こうして可動堰計画は県民不在のまま、スタートしたのである。

注) 99年3月現在、徳島県、並びに県下2市8町の議会が可動堰建設促進を決議している。しかしながら、決議はいずれも、建設省四国地方建設局の諮問機関「第十堰建設事業審議委員会」に於いて可動堰建設計画の審議が始まった後に行われたものである。この動きは、最初に可動堰建設の結論があり、これに沿う形で地元議会の要望が「取って付けたように」挙げられた事を示している、とは言えないだろうか?


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